高知県の中央よりちょっと北側
山が連なり ダムが輝き 水の町として知られている土佐町
人口が 2025年11月1日現在で 3,420人 とのこと
僕の住んでいる四万十町からは くねった峠を越えた先にある
同じ山間部だけど なんとなく“水のイメージ”が先に来る町
数字だけ聞くと ふーんって感じ
けれど 平成27年の人口が 3,997人 だったらしい
つまり ざっくり580人ほど減ったわけで
小さな町にとっては 1人1人がかなり大きい
こうして他所の町の人口を眺めながら
自分の町にも重ねてしまうのは 田舎あるある 👍
🏔️ 土佐町ってどこ? 高知県の水瓶のひとつ
四国の地図を広げて 高知県の真ん中あたり
山に囲まれた場所に ぽつりと水面を抱え込む形で土佐町がある
早明浦ダム 水質に詳しくなくても 名前だけは聞いたことがあるはず
高知県民にとって 水源って神様みたいな存在
川がすべての始点になってる気さえする
四万十町に住んでいると
豊かな川が当たり前みたいに見えてしまう
けれど その水がどこへ流れ 誰の暮らしを支え
どんな土地で受け止められているのか
ふと気になってしまうタイミングがある
それが今回だった
まさか人口調べるところまで行くとは思わなかったけど😅
📉 人口減少という言葉 でも実感は人から来る
3,997人 → 3,420人
数字の変化だけを見ると静かなグラフ
しかし 町で暮らしている人から見れば
同級生の人数が減る スーパーの閉店時間が早まる
祭りの担い手が足りない そんな生活レベルの変化になる
田舎の人口減少は “ドラマチックな減り方” じゃなくて
日常の中で ちょっとずつ “あれ?” が増えていく感覚
気づいた頃には 空き家が増え
学校の音が静かになり
季節の風景が少しずつ軽くなる
怖いようで 静かで
静かだけど 痛くはない
それでも 心の奥がじわっと動く
田舎の人口とは そういう存在
🚗 四万十町と土佐町 同じ山なのに空気が違う
四万十町に住んでいると
山は日常 水は日常
けれど 土佐町へ行くと “水の町に来た” という感じが強くなる
ため池も川も ダムも 透き通った感じがある
あの水を飲んだら 何か違いがわかるのか
ちょっと気になるけれど 僕には判断できない😂
四万十町と土佐町
どちらも人が優しい どちらも穏やか
でも 違う顔を持っている
それが面白くて 僕はこうしてつい調べてしまう
町を見比べることは 競争じゃない
ただ “違いを知って愛着を深める作業”
🧓 高齢化という言葉の影に 生活がある
人口が減ると 当然ながら高齢の割合が増える
だけど 田舎にいると
高齢者は “少なくなる人” というより
“今を支えてくれる人” に見える
畑を守り
祭りの知恵を持ち
家の手入れを知っている
里山の先生たち
都会の人口統計に出てくる “負担” という言葉とは違う
田舎では “文化の守護者”
その人たちが減るということは
数字よりも 重みがある
🏘️ 土佐町の未来を僕が語る資格なんてないけれど
僕はただ 四万十町に住む一人の男
土佐町の未来を語るつもりも
改善策を提示するつもりもない
ただ 町について調べたら
数字の奥に 生活があることに気づいただけ
人口3,420人
その中に 子どもがいて 若い夫婦がいて
戻ってきた人 定住した人 出ていく人
笑う人も ため息をつく人も いるはず
観光地を巡るように
美しい部分だけを切り取るのもいいけれど
数字をきっかけに 町の輪郭を知るのも悪くない
それが “住んでいる人に敬意を払う” 方法のひとつ 👍
💧 人口を知ることは 町の水を飲むことに似ている
土佐町の水は 四国の生活に染み込んでいる
そして 人口という数字も
その町の気配を静かに映している
飲まなければ味はわからない
けれど 飲んだら違いがわかる
そして それは急に感動することより
気づかないうちに身体に馴染むタイプの魅力
土佐町も そういう町なんだと思う
🏁 まとめっぽいけど まとめない
人口が減っている
それは事実
でも だから悲しい町ではない
水が美しい
人が暮らしている
季節が浮かんでいる
それだけで 町は続いていく
僕はそれを知れただけで もう十分
数字に誘われて
町の姿を少し覗き
そして 今日も四万十町で暮らす
また気になる町を見つけたら
きっと 同じように調べてしまうんだろう
そのクセ ごめんだけど気に入っている😉💧
