山に囲まれた朝、川の水音だけがやけに大きく聞こえる日がある。
四万十町で暮らしていると、「人が減っている」という言葉より先に、こういう感覚が体に残ることが多い。
静かになった、というより、余白が増えた、という感じに近いかもしれない🙂
四万十町(しまんとちょう)は、高知県の中西部にあって、いわゆる四万十川の中流域に広がる町だ。
海はない。
けれど山と川はとにかく近い。
車で10分走れば景色ががらっと変わるし、同じ町内なのに「そこは別の世界やね」と言いたくなる場所がいくつもある。
この距離感が、四万十町を語るときの前提なんだと思っている。
中心部と山間部。
国道沿いと支流の奥。
同じ町名でも、暮らしの感覚はかなり違う。
この「近いのに遠い」感じが、ここ10年、20年でより強まってきたように感じる。
少し前まで、もう少し人の気配が均されていた気がする。
夕方になると、どこからか軽トラの音がして、誰かが誰かの家に寄っている。
用事がなくても立ち話が始まる。
そんな場面が、今よりも自然にあった。
今はどうかというと、なくなったわけじゃない。
ただ、発生する頻度が下がった。
「今日は誰とも会わんかったな」という日が、珍しくなくなった。
これが人口の変化と無関係とは、さすがに思えない😅
ここで補足資料として人口の話をしておくと、
四万十町の人口は、2000年代半ばを境に減少が続いている。
10年前と比べても、20年前と比べても、確実に少なくなっている。
ただ、数字そのものよりも、減り方の質が変わった気がしている。
以前は、若い人が出ていく、という減り方だった。
今は、そこに「自然に空く家」が重なっている印象がある。
高齢の一人暮らしが終わり、次の住み手が現れない。
そういう家が、点ではなく線で増えてきた。
町内を移動していると、それがよく分かる。
少し奥に入った集落ほど、空き家がまとまって見える。
一方で、中心部や国道沿いは、そこまで極端ではない。
この差が、町全体の実感を分かりにくくしている気がする。
「まだ大丈夫そうに見える場所」と
「もう戻らなさそうに見える場所」
その両方が同時に存在している。
これが四万十町の今の姿なんじゃないか、と感じる。
10年〜20年前と比べて変わったのは、選択肢の数だと思う。
昔は、残るか出るか、という二択だった。
今は、残り方が細分化されている。
町内で移る人、週末だけ戻る人、完全に生活を切り分ける人。
便利になった部分もある。
ネット環境は良くなったし、買い物も昔よりは融通がきく。
それでも「ここで暮らし続ける理由」を、個人で抱え込む場面は増えたように思う。
距離感の話に戻ると、
四万十町は、外から見るより中の移動が大変だ。
地図で見ると一つの町でも、体感では複数の地域が折り重なっている。
この内部距離の長さが、人の集まり方を分断している影響もありそうだ。
イベントを一つ開くだけでも、
「そこは遠い」「夜は帰れん」という声が必ず出る。
誰かを呼ぶ、という行為自体が、以前より重たくなった。
人口減少というより、接点の減少、と言った方が近いかもしれない。
それでも、完全に悲観しているわけではない。
人が少なくなったからこそ、残った関係が見えやすくなった面もある。
顔と名前が一致する範囲で、ちゃんと助け合っている実感もある。
ただ、この状態がずっと続くかというと、正直分からない。
次の10年で、また質が変わる気がしている。
減るスピードよりも、減った後の形が問われる段階に入っているように感じる。
四万十町は、派手に何かが壊れる町じゃない。
少しずつ、静かに、風景が置き換わっていく町だ。
その変化は、数字だけでは掴みにくい。
だからこそ、人口データは「入口」でしかない。
川の音が変わった気がすること。
夜の明かりが一つ減ったこと。
そういう小さな違和感を拾い続ける方が、実態に近づける気がしている。
住んでいるからこそ、見えすぎる部分も、逆に見えなくなる部分もある。
それでも、この町の距離感や変化を、もう少し言葉にしていきたい。
四万十町は、まだ途中にある町だと思っているので🙂

