香美市の人口は、いつから減り始めたのか
調べてみた理由と背景
「香美市の人口って、いつから減り始めたんだろう?」
ふと気になって調べてみました。
よく言われるのは「合併してから減った」という説。けれど実際のデータをたどると、もっと前から静かに減っていたことが見えてきます。
今回は、香美市の人口が減り始めた時期を中心に、近隣市町村や同じ人口規模の市とも比較しながら、なるべく納得感を持てる形でまとめてみました。
減少の起点は昭和35年から40年ごろ
合併前から始まっていた人口の下り坂
香美市の人口が減り始めたのは、昭和35年(1960年)から昭和40年(1965年)頃。
このあたりで、はっきりと下降に入ったと考えています。
理由は明快です。
昭和30年代までは4万人を超えていた人口が、昭和40年代に入ったところで4万人を割り、その後は一度も上向いていないからです。
つまり、2006年の市町村合併よりも、ずっと以前から人口は減っていた。
合併がきっかけではなく、それ以前から静かな下り坂を歩んでいた、という見方のほうがしっくりきます。
とはいえ、「減り始め」とは何を指すのかという問題もあります。
統計上のピークを意味するのか、それとも生活のなかで人が減ったと実感される瞬間なのか。
この違いも念頭に置いておくべきだと思います。
合併前のデータを見直すと、早期の減少がはっきりする
香美市は、旧土佐山田町・香北町・物部村が合併してできた自治体です。
そのため、合併後の統計だけ見ていても、人口減少の本当の始まりは見えてきません。
昭和30年代までは人口4万人台を維持していましたが、昭和40年代にはそれを割り込み、以後はずっと減少傾向が続いています。
土佐山田駅の周辺には、JRの駅や国道195号、マルナカ土佐山田店やバリューかがみの、図書館「かみーる」など、生活の拠点となる施設が揃っています。
観光資源も豊富です。
龍河洞、やなせたかし記念館、道の駅美良布(韮生の里)などは、どれも人を引きつける力がある場所。
それでも、長期的な人口の減少傾向は止まっていません。
これは、「増える条件がない」のではなく、「減っていく要因のほうが長く強く残っている」という構造的な問題かもしれません。
周辺自治体と比べると、香美市の減り始めはかなり早い
まず比較したいのが、南国市と香南市。
地理的にも近く、生活圏が重なる部分がある市町村です。
南国市は2000年代後半まで人口が増えていて、減少に転じたのは比較的最近のこと。
空港や大学、高速道路の整備など、生活圏の広がりを支えるインフラが揃っていることが理由だと思われます。(南国市のページ)
香南市はさらに遅く、2010年(平成22年)あたりがピーク。
のいち動物公園やヤ・シィパーク、国道55号のアクセスの良さなどが、通勤圏としての強さを支えています。(香美市の人口について)
一方、香美市は昭和40年頃にはすでに減少に転じている。
周辺市と比較すると、明らかに減少のタイミングが早いとわかります。
反対に、北側の山間部に目を向けると、大豊町や本山町など、高度経済成長期に大きく人口を減らした自治体があります。
土讃線や国道32号は通っていますが、若者の流出は止まりません。
香北や物部地域と似た状況を抱えている印象です。
香美市の中でも土佐山田の平地は他市の影響を受けやすいのですが、市域全体で見ると山側の割合が大きく、これが早期の減少につながったのではないかと感じます。
人口が近い市と比べると、減少のパターンが違う
香美市の2020年時点の人口は約2万6500人。
この規模に近いのが、奈良県五條市と広島県大竹市です。(市町村人口ランキング)
・五條市 約2万7900人
・大竹市 約2万6300人
ただし、数字は似ていても、減少の「形」はまったく異なります。
五條市は一度、人口を持ち直している
五條市は1970年代から減少に入ったものの、1990年代に一時的に増加しています。
これは、通勤圏としての位置づけが変わったり、生活のスタイルが広がったことが影響していそうです。
香美市はどうかというと、一度も増加に転じる局面がありません。
まっすぐな下り坂を描いているのが特徴です。
大竹市はピークから一気に減少へ
大竹市は1975年をピークにして、その後は減少傾向が続いています。(大竹市の人口動向について)
工業都市によくある、ピークアウト後の急減というパターンです。
香美市はこれとは違い、産業構造による急な増減はなく、山間地域ならではの「じわじわ型」の減り方をしている印象です。
なぜ香美市は早く減少に入ったのか? 私の仮説3つ
ここまでの流れから、香美市の人口減少が早かった理由について、3つの仮説を立ててみました。
1 山間地域の比率が高く、維持が難しかった
香美市は面積が広く、山地が多いエリア。
集落の維持や移動の負担が大きく、高度経済成長期には都市部へ人口が吸い上げられた影響を受けやすかったと思います。
2 通勤圏には近いが、定住地としての強さは弱い
高知市までは遠くない。
でも南国市や香南市のように、完全な住宅都市にはなりきれていない。
土佐山田周辺は便利でも、市域が分散しており、流入が集中しにくい構造です。
3 訪れる理由はあるが、住む理由になりにくい
道の駅や図書館、観光施設など、来訪者を引きつける要素はあります。
でも人口を増やすには「住む理由」が必要。
これは施設ではなく、仕事や教育、家族構成など、もっと根の深い要素が関わってきます。
市域内に「便利な地域」と「生活の難しい地域」が混在していることで、人口全体としての増加にはつながりにくいのではないかと感じています。
よくある疑問に答えます
Q 合併してから人口が減ったのでは?
A 減少はもっと前から始まっていました。合併(2006年)は、統計の区切りにすぎません。
Q 周辺市町村より特に減り方が激しいの?
A 減少のペースが速いというより、「早くから減り始めた」ことが特徴です。
Q 五條市や大竹市と同じ人口なら、同じように減るのでは?
A 規模が同じでも、減少の背景はまったく異なります。
香美市は「ゆっくりだが長い減少」、大竹市は「工業ピーク後の急減」、五條市は「一時的な回復あり」。
人口グラフにもそれぞれの物語があります。
香美市の人口が減り始めたのは、昭和35年から40年ごろ
香美市の人口が減り始めた時期を調べていくと、やはり昭和35年から40年ごろというのが一つの区切りになります。
周辺の南国市や香南市が平成に入ってから減少に転じたことを考えると、香美市の減少はかなり早い段階から始まっていたといえます。
数字を追っても、実際に歩いてみても、香美市の人口のグラフは「ゆるやかに、でも確実に」下り坂を描いてきました。
この現実とどう向き合うか。
それを考えることが、地域のこれからにつながっていくと思っています。
