中土佐町の人口5,679人、山と海に囲まれた「ちょうどええ」町のリズム🏞️🐟
中土佐町――名前を聞くだけで、潮の香りと山のざわめきが同時に思い浮かぶ。
そしてその町の人口が、2025年9月30日現在で5,679人だと知ったとき、なんだか数字の小ささよりも、「あぁ、あの静けさが保たれてるんやなぁ」という妙な安心感を覚えた😌。
四万十町に住む私からすると、お隣の中土佐は“兄弟みたいな町”。
似たような自然、似たような人のあたたかさ、そしてどちらも「都会にはないけんど、ここにしかないもん」がぎゅっと詰まってる💚。
でもなぁ、この“5,679人”って数字。
目で見るとちっちゃいけど、心で見ると深いんよね。
だって、そのひとりひとりが毎日を営んでる。朝は潮風の中で洗濯物を干し、昼には港から魚が揚がる音がして、夜は星が降るような空を見上げて、「今日もようけ頑張ったなぁ」と小さくつぶやく。
その生活の積み重ねが、この町の“人口”という言葉の奥に眠ってる✨。
🐟 港町のにぎわい、そして静けさの両立
中土佐町といえばやっぱり久礼(くれ)。
久礼大正町市場のにぎわいは、高知の中でもちょっと特別や。
カツオのたたきが焼ける香ばしい匂い、氷の上で光る魚たち、笑い声と値切り合戦。
あの空気の中にいると、「人口5,679人?いや、ここだけで1万人くらいおるんちゃうか」と錯覚するくらい😆。
でも、ちょっと路地を入れば、海風が通り抜ける静かな路地。
猫がゆっくり歩いてて、軒先で干されたタオルがゆらゆら揺れてる。
そんな日常が、この町のリズム。にぎやかと静寂、その両方がひとつの町に同居してるんよね🐾。
🏡 「減ってる」けど、「なくならん」強さ
人口の数字だけ見れば、確かに中土佐町も減少傾向。
あちこちで「人がおらんなった」「子どもが少ない」と聞くけど、それでも祭りはちゃんと続いちゅう。
久礼八幡宮の秋祭り、あの太鼓の音が町全体に響くとき、人口の少なさなんて関係ないんよね。
むしろ、そこにおる人たちが全力で“今”を刻んでる感じがする🔥。
四万十町でもそうやけど、田舎って、数字で測ると「減少」やけど、心の温度で測ると「上昇」してる気がする。
人が減っても、町の濃度は上がってる。
だって、残った人がちゃんと「好きでここにおる」んやもん。
“好きで残る”って、都会に行くよりずっと勇気のいる選択やと思う💪。
🚶♀️ 道の駅で聞こえる、ゆっくりな会話
道の駅なかとさに行ったら、ついつい時間を忘れる。
パン屋の香り、ソフトクリームの甘さ、そして近くでおじいちゃんたちが話してる声。
「今日は波がええのう」「いや、あれは西風やきに無理やろ」っていう、たわいもない会話が心地いい。
そういうやり取りが、まちの体温を守ってる気がする☕。
この“ゆっくりなテンポ”が、中土佐町の最大の魅力かもしれん。
時間が流れていくんじゃなくて、「一緒に歩いてくれる」感じ。
都会では秒針が走っとるけど、ここでは風が歩いとる🌬️。
🌊 山も海も「話しかけてくる」町
中土佐町を走ると、右に山、左に海。
その間を車が抜けるとき、まるで自然が「おかえり」って言うてくれるみたい。
山の緑は濃くて、潮の香りは塩っぽくて、どっちも「ここを離れるなよ」とささやいてくる。
四万十の山育ちとしても、この景色にはちょっとヤラれる。
海が荒れた日も、町の人は笑う。
「今日はカツオが休みの日や」と言いながら、代わりに芋をふかして食べる。
そんな風に、自然と共に生きてる姿が、なんとも人間らしい。
🍵 町の空気は“のんびり”を超えて“しみる”
ある日、中土佐のカフェでコーヒーを飲んどったら、となりの席のおばあちゃんが言うた。
「うちらの町はね、何にもないけん、何でもあるがよ」って。
最初はちょっと笑ったけど、あとからその言葉の意味がじわっと沁みてきた☕。
たしかに、便利なものは少ない。
でも、朝日を見上げたときの清々しさ、夕暮れの港で感じる寂しさ、夜に虫の声と波の音が混じる瞬間――それ全部、この町の「何でもある」なんよね。
便利より豊か、派手より深い、そういう“贅沢”が中土佐町にはある✨。
🌾 終わりに――「減る」ことは、“薄まる”ことじゃない
人口5,679人という数字は、小さいかもしれん。
でも、町の魂の大きさは、きっとその何倍もある。
四万十町に住む私も、「減っていく町」に住んでる身として思うけど、
減るというのは、消えることじゃない。
必要なものだけが残っていくことやと思う。
人が減っても、町の笑い声は残る。
海の匂いも、山の影も、猫の足音も残る🐾。
そして何より、そこに生きる人の誇りが残る。
数字は風のように流れていくけど、町の温度は、きっと変わらん。
それが中土佐町の“今”であり、“これから”なんやろう🌅。
中土佐町公式サイト

